シンガーソングライターの山田稔明さんは、佐賀県基山町育ち。
NHK Eテレ 0655や2355で「第2の人生」「AはBでCになる」を歌っている人、と聞けば覚えがある方も多いのではないでしょうか。
近年は、お母様とご親戚が今も住んでいるという基山町に、”帰省”の活動が地元でも話題になっています。
2021年には、基山町主催の音楽祭で凱旋ライブ。2022年も、アコースティックギター1本での弾き語りによる伸びやかな歌声で、おだやかで上質な音楽を提供してくれました。
そして、2023年3月の音楽祭「アイが大きい基山町音楽祭」出演で、3年連続で町の舞台に登場することが決定。誰でも入場無料という、地元ならではの音楽イベントが今年も開催されます。
コロナ禍続く2022年に行なわれた基山町ライブの終演後、『大字基山』編集部のインタビューに対応してくださった山田さん。
音楽だけでなく、エッセイストやイラストレーターとしても活躍、そして愛猫家としても知られるアーティストに、「100の質問」をぶつけました。
去年の夏ぶりです。やんごとなき理由で。母親の健康問題で来ました。
小学5年生から住み始めて、8年ですね。もともとは鳥栖生まれ。
東京都新宿区。基山から新宿区っていうのは、なかなかしびれましたよ。
故郷を出たいと思って上京したけど、やっぱりすごい心細かった。どうなるんやろうって。学生で18歳で。
ん〜……。正直言うと、本当は早く東京に戻りたい(笑)。
丸幸ラーメンを食べに行きます!
基山に帰ってくると、映画を見ます。時間を持て余しちゃって。東京で観ない映画をこっちで観る。なんかやってないかな~って、筑紫野イオンとかに行ってね、観ちゃう。
東明館高校のグラウンドが好きなんですよ。誰もいない時間、夏休みとか正月とか土日とか、不審者っぽくなるけど、ちょっと行って…夕暮れに。
なんでかなぁ、高校3年間を過ごしたっていうのが沁み込んでるのかなぁと思うんですけど。
みっちゃん、やっちゃん、てっちん。今、隣にいる人たちです(笑)。
今日は、てっちんはおらんけど。
元バンドのメンバーです。この幼馴染メンバーで、高校の時、初めてのバンドを組んだんです。別々の学校だったから、お互いの家に行ったり来たりして練習してね。
バンド名は「 Empty Heart(エンプティハート)」。すかしてる感じでしょ(笑)。
ん~…? でもやっぱ、同級生で町にいる人とは、会ったら挨拶するし。昔は女子とほとんど話はしなかったけど、年とると普通に挨拶するようになりました。
基山町って意外と、なんか、出発口というか、搭乗口というか。港というか。
自分がそうなんですけど、基山町から東京へ出発しているし。すぐ福岡だし。例えば東京で福岡の人にあって出身地をいう時、「基山」っていうと逆にみんな知っていて。入口というか、佐賀の入り口。
入口であり出口かもしれないですね。
丸幸ラーメンでしょうね。あと、もうなくなっちゃったけど、モール商店街にうどん屋さん「香梅」っていうのがありましたね。
えー、なんやろ……。
(お隣からヒント「基山駅から乗る人だけ傘持って歩いてる、とか?」)
あー。基山駅のホーム、傾いてますよね。
吉祥寺に住んでます。もう10年。
あります。久留米より博多に近いしね。
保育園を脱走したこと!
自転車が欲しくて、自転車を見に行こうと友達とふたりで抜け出して、帰ってこれなくなった。帰りは泣いてるところを保護されました。
でも、そのあと自転車を買ってもらえたというオチ。そんなに欲しいんか、って。
鳥栖の…今もあるんかな?「とんかつ木村」のあたりから山の方にある、お寺がやっている保育園。僕は両親が共働きだったから、保育園と幼稚園、両方行ってるんですよ。「ふつはら幼稚園」も通ってた。
東京の大学に受かった時。
もう絶対ダメだと思って、自分は浪人すると思ってたのに、郵便で届いて「合格」って書いてあって、漫画みたいだった。「わー!!!」って。
飼っていた猫が死んだとき、ですね。2014年。
スーパーカー消しゴムのタイヤの部分を、「いい匂いする」って鼻に入れすぎて泣きながら耳鼻科に先生に連れて行かれたこと。
まだ覚えてます。
そうです。当時は、けやき台に小学校はなかったです。
図工。
旅行の思い出を書きました。テーマは「こんな町に住みたいな」。実は、町長から以前「これ、山田くん?」って印刷したものを渡されたけど、顔写真は自分じゃなくて(笑)
(ここで、「広報きやま」昭和60年のコピーが、関係者から資料としてすすっと登場!当時のまちづくり月間小中学校作文コンクールで優秀賞を受賞されていました)
表彰式があったのか。覚えていないですねぇ……。
僕、本当は鳥栖高校に行きたかったんですよ。友人はみんな、そっちに行っていたから。
でも、たぶん、東明館高校に行ったから東京に行けたし、今があるんだと思う。鳥栖に行っていたら、みんなと遊んでいただろうなと思うし。
だから、意外とその年齢の孤独って、友達と別れることをあんまり恐れなくてもいいんじゃないかな。「友達がそっちに行くけん」という選択じゃなくても、いいと思う。
どうせ、仲いい友達とは再会するし!
基山(きざん)ですね。
杓子ケ峰(しゃくしがみね)も行きよったっけ?
給食で出てきてた、ムースですね。ちょっとやわらかくてプリンみたいな、でも少し凍っていて独特な。
東京の人は知らないみたい。
小学校のときの長崎と、中学のときの南九州。
僕、バレーボールやっていたので。今でもバレーの試合を見ると「うっ!」って力入ります。
英語ですね。
いろんなことをルーティンにしちゃう。継続。やることを決めて、それをひたすら繰り返していく。
柔道。小1から5年まで。
小学校中学年ぐらいだったと思う。鳥栖の小学校の人。
あるかもしれない。
村上春樹が好きで、特にエッセイは、何回も読みます。
ご本人がジョギングしているところを見たことがあって、めっちゃテンションが上がりました。
特になし。
電波とかなしですよね……ギターと、筆記用具と、猫ですね。
でも、猫は連れて行くとしたらエゴだし。本当に必要なのはギター。
情報収集力に長けた子どもでした。本で調べたり。知識を蓄えるのが好きだったかもしれないですね。
連鎖のように、これが好きになったらこれもこれも、と調べちゃう。
う~ん……この質問、いいですね、普段考えないですものね。考えておきます。
ジョン・レノン。歴史上の人物なのか?
タバコ吸っていて、それを知った親が、僕の部屋の壁に「禁煙」って紙を貼ってあって、愕然としました。
こっちはバレてないつもりで、吸っていたのに。
意外とあんまり大人になっても変わらないよ、って。中2で人格が完成したかもしれないです。
ギターですね。小学生のときに、特撮のキカイダーの主人公がギター弾くんですけど、それにあこがれて買ってもらった。
親父の趣味がギターで、それをポロンポロンと弾いて、ドレミを教えてくれた。親父自身は、めっちゃ演歌を弾く人だったんだけれども。
いやぁ、あったらすばらしいけど、僕はないから。「相対音感」でいいと思います。
小学生のときですね。
実家が車屋やってたんですけど、そのフェアみたいなのでカラオケ大会があって、そこで。
同時ですね。
基本的には、あたまから作っていくのが好きですね。どんどん気分が盛り上がっていくというか。
大学生で、就職しなきゃってなったときだったと思います。大学でバンド始めたんですけど、就職ってなったとき、やりたい仕事は全部音楽に絡んだことだったんです。
レコード会社受けたり、結果的にテレビの制作会社に就職はしたんですけど、ライブ番組とかミュージッククリップとか作る会社で。
そこに入社して、人の作品をつくるより自分がやりたいんだなって。
メジャーデビューは99年。26歳ぐらいかな。
あぁもう音楽だけやればいいんだな、と思ってうれしかったです。
テレビでみた闘牛の名前なんです。「ゴメス・ザ・ヒットマン・ロドリゲス」っていう闘牛がいて、何人ものマタドールをあの世に送った闘牛というのがいて。
うちは男女混合のひょろひょろっとしたバンドだったので、名前だけは強そうにしよう、と。
まあでも、まさか四半世紀続くとは思っていなかったけど。
最高の思い出というよりも、いちいち新しいCD作ったりとか、更新していけていることがすごいなって特に最近思っている。
普通、バンドって解散するんだけど、このままだと解散しないでやれるかもなって気が最近していて。
バンドの停滞期というか。バンドを7年間休んでいた時があって。
連絡もとっていなかったし、ソロ活動を始めるきっかけだったけど……そのはじまりの頃はすごい孤独でしたね。事務所とか所属先もなくなったし、自分で全部マネージメントして。
そしたら、いかに自分がこれまで逢っていた人たちに丁寧に接していなかったかとか思い知って、ちゃんとしなくちゃなと、改心しましたね。
ブログを、体調を崩したことがきっかけで2004年から始めまして。
あるときから「絶対毎日書く」という自分なりのルールを作って、それで、瞬発力でなにかを書くという習慣が身についたので、今は文章を書くのは全然苦ではないです。
それから、音楽一本でやるのに、総合的に表現したいという欲求がたぶんあった。全部自分でやりたいと思うようになって、ジャケットどうする?じゃあ自分の絵でどうですか?とか口出ししたくなっちゃって。
でも、いわゆるメジャーレーベルにいるときや事務所にいるときには、第三者の意見も大事で……。それが全部自分でやるってなったときに、創作意欲が爆発したんじゃないかな。
意外と、東京ですね。
イカですね。イカなら、なんでも。
酒粕とか……ちょっと、こう、発酵しているようなやつ。
後に食べます。
あります。
描けるかもしれない。
手料理じゃないかもしれないけど、きびなごの刺身!
東京では見かけないけど、基山町あたりだと、どこからか買ってきてくれてね。
します。
煮物が得意です。カレーとか煮込み系。
町の小さい定食屋さん。学生がいくようなところで、バランスとれてて。
けっこういっぱいあるんですよ、東京には。
スカイツリー、代官山の蔦屋書店、ダルトンストアっていうアメリカの雑貨屋さん。
代官山の蔦屋(代官山T-SITE)はキラキラしていて、一番東京らしいと思う。
人がおだやか。田舎の方が怖いって思っちゃう(笑)
よそいきなのか分かんないけど、丁寧に接すれば丁寧に返してくれるし。東京で嫌な思いはしたことないですね。
物価が高いことかなぁ。住むだけでもう……。
人生で1回は来ていいんじゃないかなぁ。
僕、けっこう怒りますよ。調子に乗っているとき。友達の子どもとかでも、怒ります。
なんか好きな対象を持ったときじゃないですか?好きな人でも好きな音楽でも趣味でも。親の影響じゃなく。
めっちゃ100歳まで生きたいです。
ヨガと整体。ヨガは週2、整体も週2。整体はサブスクなんです。
ショートスリーパーです。
基本的には、月曜は俺の休みだな、と思っています。みんなが働いているときに休むようにしています。休日は、お出かけします。
中古レコード屋さんに行くことです。
謝ること。全部自分のせいにして。
ビールが好きですね。
ないですね。
まぁ長続きはしないだろう、っていうか、やれるだけやってみたら、という感じだったかなぁ。もういい歳、26歳でしたし。
高校卒業してミュージシャンだったら、なにか言われたかもしれないけど。
日常、ですね。
しますよ。Instagramのハッシュタグとか。
ミュージシャンは……目指さない方がいいと思います。
自分はデビューしてちょっといい思いして今に至ってるけど、いわゆるレコード会社からメジャーデビューしてっていうやり方を今からやって、いいことがあるとは思えないから。
それよりも自由に、「これー本でやる」って思いつめないで、YouTubeとかバズるとか今風なやつで、面白く楽しく、ひとつの趣味的な音楽をやるのはいいと思う。
本当に音楽が好きな人は、趣味でも続くものですから。
そうそう。
例えば、若い20歳くらいの子がメジャーデビューしたいっていったら、あんまり良い話はしないと思う。まぁ、デビューできるなら1回しとけばって。
それで、大人たちがお金かけてある程度認知度を上げてくれるから、そうしたらもうちょっと音楽活動やりやすくなるし…くらいの感覚で、あんまり期待しないほうがいいんじゃないって。
(公式YouTubeには、山田さん撮影・編集・歌唱・ナレーションの帰省動画が公開されています。故郷・基山町の映像と音楽が響き合う素敵な45分のプログラムです)
最近はInstagramがメインですね。Facebookはやっているけど知り合い用。
サニーデイ・サービスの曽我部恵一さん。僕の2つ上で、バイタリティがすごいなって。
曽我部さんは東京でカレー屋さんしていて、そのカレー屋さんに昨日行きました。
曽我部さん、佐賀にも縁があるんだ。知らなかった。
アメリカの、USインディー。ガチャガチャしたの。
あんまり聴かないですね。
枚挙にいとまがないというか、僕、レコードジャンキーなので、毎日レコード買っているんです。1日中、家でレコードかけている生活ですね。
だから、音楽全般が、好きです。
実家には犬も猫もいたんですけど、なんか自分の性格と猫の相性がよかったのかな。僕は、猫にあんまり赤ちゃん言葉をつかわない。関係としては、パパじゃない、兄なんですよ。
その感じが、すごい良いというか。物心ついたころから、猫はいつも身近でした。
5、6匹は、いるんじゃないかな。
今の猫の名前は、「ポチ実(み)」です。出会いは、先代猫が「ポチ」という名前だったんですけど、2014年夏に亡くなって、すんごいペットロスになっちゃって。
そしたら嘘みたいに、季節が変わる9月になったとき、おんなじ三毛柄の子猫が庭に現れて。それから餌付けして、飼い始めました。
亡くなったポチは、もともとCDジャケット撮影をしてくれたカメラマンの猫として出会って、一緒にジャケット写真も撮って。そのあと飼えなくなったから、これは山田くんが飼った方が良い、ということで譲り受けた猫でした。
やっぱ、付かず離れずの関係性じゃないですかね。うちは!特に!!!
ポチ美は、僕のこと、好きでも嫌いでもないと思うんです。すごいドライなんですよ。僕は、好きなんですけどね。
「猫と1回暮らしてみ!」ってことですかね。まぁ、アレルギーだったら大変ですけど。
嫌いって言ってる人は、食わず嫌いじゃないけど、1回、一緒に部屋でしばらく暮らしてみたらいいですよ。2オクターブ、声が上がるようになります。「なんなの~♡」って。
コンサートでやっています。チャリティーボックスとか。
僕は、そこまでハードコアな愛猫家じゃないなぁって、いつもそういう保護活動している人は本当にすごいなぁって思ってます。僕はただ、自分ちの猫を「かわいいかわいい」言ってるだけだから。
でも僕が毎日ばかみたいに「猫って本当にかわいい」って言ってて、「そこまでかわいいの?」って誰かが思ってくれて猫に対して興味をもってくれたら、何かのサポートになるのかなと。
うん、みんな知ってるって。町では有名みたいですね。
基山町ぐらい田舎での保護猫活動って、なかなか大変だと思う。「ここだったらネコおっていいやろ」っていう感覚も、田舎だから、あるんだろうなぁ。
右も左もわからないまま、初期衝動だけでつくった2枚のCDがあって。青春だなぁって聴き返して思うんだけど、自分で聴くのはつらくて、ヘタクソで(笑)。
でも、それは誰かにとっての青春かもしれないし、それを塗り替えると、誰かの青春がくもっちゃったりするんだったら、セルフカバーはやっちゃいけないことかなぁと、ずーっと、十何年も思っていたんです。
でも、コロナで時間が有り余っているときに、「いやいや、でも俺にとっても青春なんだよな」「僕の青春を僕が塗り替えるのは、アリなんじゃないかな」と思って、自分がいいようにしたい、っていう気持ちに。
で、今のメンバーで蘇らせようと。だから、アレンジもそんなに変えていないし、ライブでよくやる曲はライブバージョンにして、全16曲、1年がかりで収録しました。すごいお気に入りです。
総合的にいろんなことを、例えば絵を描いたり小説書いたり、ラジオもやらせてもらっていて。結局、まぁなんでも好きなんだな、と。
音楽はやり続けるし、ほっといても音楽は作り続けていくから、それ以外のことを楽しんでやれたらいいな、なんて……新しい場所みたいなのを作りたいとか。
例えば、ライブハウスみたいな発表の場とか、気の合う仲間たちが交流するサロン的なのとか、なにかリアルな場所づくりというか、ですね。
なかなか、対面で100の質問に答えることはないですね。自分の考えがまとまりました。
基山町民の素朴な疑問を含め、ぶしつけな100の質問に真摯に、言葉を選びながら丁寧に答えてくださった山田稔明さん。
その音楽やイラスト等のアーティスト活動や、愛するレコード、そして愛猫「ポチ美」やご自宅のお庭にやってくる外猫「ママン」との暮らしは、ご自身のInstagramで毎日、更新されています。
ネットショップでは、CDや著作のほか、イラストグッズも販売中です。
これからも、縦横無尽、多種多様な分野でのご活躍をお祈りしております!
そして、これからもたくさん、基山町に伸びやかな歌声を届けてくださいますように。