2019年7月。
西日本全域に大きな被害をもたらした西日本豪雨(平成30年7月豪雨)から、1年が経過しました。
2018年7月6日17時すぎ、九州は佐賀県、福岡県、長崎県で大雨特別警報が発表。特に被害の大きかった広島、岡山をはじめ、最終的には過去最多となる計11府県で大雨特別警報が発表されました。
その結果、西日本を中心に多くの地域で河川が氾濫、土砂災害も発生し、死者数が200名を超える大災害となったのは記憶に新しいところです。
そんな中、佐賀県基山町も豪雨による被害を受けました。浸水した場所あり、被害を受けた寺院・田畑あり…そして住宅が全壊・半壊するほどの被害を受けたエリアが、山間部の丸林地区です。
この場所で土砂が流入した家は2件、自宅敷地内に土砂が押し寄せた家は10件と報告されています。その主な原因は、豪雨によって崩れた山肌から発生した土石流でした。
丸林地区から基山山頂に向かう山道の途中には、古代山城である基肄城の出入り口の1つ、水門跡(南門跡)があります。古代から26m程の石垣が残っており、水門は造られてから1350年以上が経つ最近まで、山の水を城外に流し続けてきました。
石垣は2008年から解体・組み直しが行われ、2015年に保存修理事業が完了。当時の面影を伝える史跡の1つとして、地元民の憩いの場であり、観光地にもなっていました。
そして、2018年の豪雨被害直後の様子です。
土石流によって、現地にあった神社は消失。史跡である石垣や水門に直接の被害はありませんでしたが、水路が土砂によってせき止められ、水門のせせらぎが失われました。
実は、本記事でここまで掲載してきた豪雨前と直後の水門付近の写真提供をしてくださったのは、長野郁生さん。大分県のご出身で、基山町民歴は25年ほど。町内でよく聞く「ちょうの」さんではなく、「ながの」さんです。
お仕事が土木関係ということで、豪雨被害を目の当たりにしてから公私に渡って水門エリアの復旧を見守り、関わってきた長野さん。2019年6月某日、一緒に現地で進む復旧活動の様子を取材してきました。
※2019年7月現在、水門までの道路は工事車両以外、通行止めです。一般人の徒歩での立ち入りもお勧めできませんので、ご注意ください。
復旧工事によって被災直後の凄惨さは薄らいでいるものの、水門エリアへ歩いていく道の途中、周囲は未整備な箇所が目につきました。上流から流れてきたと思われる大きな岩や木が無造作に転がっており、予断を許さない状況のようです。
史跡を管理する基山町教育学習課によると、水門エリアや水門から向かう基山山頂への道、周辺の史跡をめぐる登山道の完全復旧の目処はまだ見えないと言います。
基肄城跡の川が流れている渓谷部分のあちこちが崩れ落ちていて、特に被害が大きいのだそう。
実は現在、佐賀県による土砂災害対策「治山ダム」を被害の大きかった基山中腹に造る大規模な工事計画が進んでおり、その進行状況と相談しながら、史跡周辺の復旧が行われることになります。
おそらく、完全復旧には少なくとも今後2, 3年はかかるのではないでしょうか。
ちなみに…水門の石垣をはじめ、その他の史跡群は大きな被害を受けていないんだそう。なにより「道」の復旧が待たれますね。
行政による復旧作業以外に、地元の方による復旧への努力も続いています。
もともと水門近くには、基山の天然水を汲み取れる水場もありました。豪雨によって周辺一帯が流されてしまいましたが、地元の方によってその姿を取り戻しつつあります。
なお、基山山頂へは基山草スキー場(瀧光徳寺方面)から向かうことができます。水門や水汲み場への道は災害復旧工事が続いており、また周囲の整備が行われておらず危険があるため、通行できません。山頂から水門へのアクセスもできませんので、登山の際にはご注意ください。
基山町と基山・基肄城跡の復旧活動はこれからも、まだまだ続きます。水門経由の登山道が開通すれば、きっとまた、この地に懐かしい憩いの空間が戻ってくるはず。地元民は、はやる気持ちを抑えて見守っていきたいですね。